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金型最前線



第10回
アステック
 松下産業、キャノン等、大手家電メーカーと直接取引を持ち、小物部品加工から、照明器具、OA等家電向けプラスチック金型の製作を得意とする、埼玉県川口市のASTEC(アステック)。
 20歳の頃に金型業界入りした杉田治美社長。24歳の時に、「金型で一生飯を食っていこう」と決意し、真剣に取り組み始める。当時はNC化が始まった頃。コンピュータの勉強を始める。その頃勤めていた工場では歯車等の丸モノしか扱っていなかったので辞め、総焼入れ鋼を用い形状が複雑な金型を扱う工場に入り直した。各種機械を扱い、CAD/CAMの知識を蓄え、また、営業経験も積んだことが、34歳で独立した後に活きた。「景気はどん底だったが、その分、機械を安価に手に入れられた。また、会社勤めのときの営業経験から、不景気な中でも仕事を見つけてくることは出来ていた」。
 自らを「せっかち」という杉田社長。速度を考えて切削中心に加工を行う。写真(ピンセットの先)のような小さな部品でも切削で加工する。同社の主力製品の1つであるSDカード向けの金型も放電加工を用いない。設備してある放電加工機を2ヶ月ほど動かさなかったこともある。
 昨年は「寝ずに働く程」忙しかったというが、金型の海外シフトを「肌で感じる」という。また、最近は自動車向け金型メーカーが仕事を求めて家電にも参入してきていることも含め、今後は金型関連の仕事が減っていくことも念頭に入れ、金型だけでなく部品加工など幅広く対応する。
 「削れるものは何でも削ります」と杉田社長。せっかちな性格が、より早く削れる加工条件の探索につながり、結果、切削加工のノウハウが積み重なった。また、機械がNC化していく過渡期に加工を経験していたこともプラスに働いたという。「5年後には、中国でも小物精密加工をやっていると思う。いずれ、機械があり、加工データがあれば誰でも金型作りが出来るようになる。どの機械メーカーも機械の性能を上げていて、どう使いこなすかがノウハウになっている。様々なワークの切削経験を積むことが、後に活きてくると考えている」。
 同社では、新たな事業としてセラミック加工を行っている。加工だけで無く、金型材として用いる試みも含めてのこと。
 非球面ガラスレンズのようなプレス加工等に「セラミック型」が使用される例はあるが、プラスチック型に応用される例は少ない。耐磨耗性・耐腐食性が強いのが長所で、射出サイクルの向上や、特にシボ加工時等で転写率向上に大きな期待をもつ企業もあるという。
 元々は「事業の安定化」を図り、景気の変動に左右されないように金型とは別事業で始めたが、独立前に務めていた企業でプラマグの金型製作に携わっていた経験を思い出し、非磁性体で耐摩耗性の強いセラミックに型材料としての付加価値を見出した。
 セラミックなどの脆性材の加工の難しさは、切削性の悪さに同対応するかが全てだそうで、対応策としては地道な作業の繰り返ししかないのだとか。「工具が大きければワークが欠けてしまう。かといって小さくすれば、時間が無駄に掛かる。最適な加工条件を調えて行き、最適な工具を探し出していくしかない」。
 同社では、セラミック加工にDMGの超音波加工機を使用。「刃物にも砥石を用いており、削り代は5ミクロン程度。なめるように加工していく。ミーリング加工ではあるが、研削加工に近い。ダイヤモンド砥石の選定に苦労してきた。DMGさんの機械はまだ使いこなせていない点もあり、超音波加工機の担当者がもう2〜3人増えてくれるとありがたい」。





第9回
双信
 静かな工場である。本社ビルの中に納まり、オフィスと同居する製造現場は、整然としている。女性も多く、スタッフの年齢層は、平均30歳。作業着もどこかしら小洒落、金型工場らしくない。
 1988年創業。カメラの鏡筒を中心に、樹脂金型とその成形品を提供する。国内メーカーが金型を海外調達する動きがある中、「派手さも無いが、コスト競争ではなく、技術・組織に見合った仕事を着実にやってきた」(小嶋一滿社長)と言う。
 自らを機械好きだという小嶋社長は、創業時の社員6人時代から、機械のリース代に月500万円と、機械には資金をつぎ込んで来た。まず機械を設備することで仕事が来るようになる。
 当初から、バリゼロのダイキャスト型などを納めていたが、17〜8年程前、最初に取引をしたカメラメーカーからの信用を得たことで、他の競合メーカーからも注文が来るようになったという。
 今では18億円ほどの年商の80%をカメラ関連製品が支える。噛み合わせの溝幅など、ミクロン台の精度が要求される分野だ。
 ある発注元には、作った型製品を再び図面に戻すことを要求された。寸法が出ていれば、「あと数ミクロン取って欲しい」と言う要求ができる。大手測定器メーカーの協力を得て、3次元測定器で計測するとともに独自のソフトウェアで2次元図面に再展開した。平面に再現できるということで多大な信用を得た。
 寸法から外れるので、手作業での磨きもしない。職人に頼っていては、次の世代が育たないという面もあるので、「あと5ミクロン取れる」機械設備が必要になってくる。
 ハウザーやジョーンズ&シップマンなど欧州でも名の通った研削盤を愛用していたが、海外製品はメンテナンス上不便がある。15年ほど前に長島精工の平面研削盤と出会い、使ってみたところ1ミクロン下げてもワークとの接触で火花が飛んだ。職人工が触っても、素人が触っても、目盛り通りに動作する。以来、同社製品のリピートを重ね、70名規模の工場内に5台設備している。
 高精度加工のできる機械とともに重要な地位を占めるのは測定器。三次元測定器だけでも4基を設備する。「ここまで実現できた」と、加工者が自身の腕を知り、モチベーションを高める役割も果たしているという。組み立ててから測定担当に持っていくのではなく、加工者がその場で都度計測しながら加工を進める。その方が後で問題をフィードバックするより時間がかからない。
 設計中の図面には、手計算が朱書され、工程指示も手書きで書きこまれる。設計者・加工者にその数値・工程の意味を理解させるためだ。たとえ図面だけが他所へ流れても、どうやってその製品へ辿りつくのかは判らないところに技術の差が出る。何をどう作るのか、自分たちで組み立て、検証するスタッフも喜びを感じるようだ。
 設備・人材に投資を続け、派手な宣伝はしていないが、口コミで仕事が増えてきたという。自社製型の成形は内製化しようとの意図で始めた成形が好調で、この春、和歌山にも工場をオープンした。
 カメラ以外にも基幹商品となる分野を模索中だ。





第8回
ニチダイ
 5月で40周年を迎えるニチダイ。前身の田中合金製作所時代を含めれば、創業48年を数える。従業員数約360名、06年度の売上げは120億円の見込。企業規模的にも、質的にも業界のトップクラスと言われる。業務内容では、自動車関連の金型製作が中心だが、近年では部品事業部の伸びが目覚しい。
 「牽引するのは、欧州に向けたディーゼルエンジン用VGターボチャージャーの部品の組立て業務。他にもスクロールコンプレッサ等の部品生産など、自動車関連の部品を幅広く扱う。ほぼ全ての自動車メーカーと取引を行い、今ではニチダイの売上げの4割を占めている」(畑中恵二取締役・金型事業統括)
 田中合金製作所としての創業時には、異形の線引きダイス製造に定評があったというが、ある自動車メーカーに技術を認められたことから鍛造金型製造を始めた。その後自動車業界の発展と共に高まる冷間鍛造ニーズに応え続け40年が過ぎた。同社が培い、蓄積してきた鍛造技術は豊富だ。さらに、同社では、早い段階で金型材に超硬を用いており、超硬加工技術も養ってきた。
 ソフト面でも、構造解析、鍛造専用解析など、CAEを早期から充実させ、設計部門には30名が所属する。これは全社員数の一割に上る(写真参考=設計部門)。
 同社が業界最大手のひとつとして広くユーザーの支持を受ける理由は、金型製造において、これら蓄積してきた技術と設計力とを活かした『工程設計』を行う点にある。
 金型メーカーの多くは、ユーザーから図面を受け取り、その通りに作り上げる。その過程で、より型持ちがよい、面精度の美しい型を作るか。この工夫を重ねていく。
 しかし、ニチダイでは、「金型を利用して製品を作り上げる全ての工程」を提供している。これが『工程設計』だ。顧客が必要とする、製品・部品を製造する上で最適であろうライン、システムをプロデュースする方法。
 金型をあくまでも製品製作上の1要素と捉え、「製品を如何に早く、安く、確実に作り上げるか」を考慮した上で、そのラインに最適な金型の製作に取り掛かる。型に掛かる負荷や、周囲の作業環境等も考慮して設計された型を、型単独としての能力を見た際に優れていないはずはない。
 また、この工程設計を続けてきた事が、金型単独の設計を請け負った際にも優位に働いている。製造ラインを作るノウハウがあれば、顧客先の金型使用条件を型作りに反映させられるからだ。『工程設計』が同社のミソと呼ばれる所以だ。
 今後、中国等の海外勢力と競合していく中で、どのような職種のメーカーにとっても、「より付加価値の高い製品を提供する」というのは至上命令だ。「ある意味、金型製作は装置産業化されてきた。放電加工機、ワイヤー、フライス等、各メーカーで使用する機械に差異はほとんどない。では、そこでどれだけの付加価値を乗せた金型を作ることができるか。当社では、型そのものの価値だけでなく、製品を作る為のCAE解析力、試験設備、その結果の分析力などを付加価値として提供している」。





第7回
ナカキン鳥飼工場
 1950年に木型金型の製作からスタートしたナカキンは、今では国内に3ヶ所と、海外に1ヶ所の工場を抱える。
 アルミ鋳造、バルブ、ロータリーポンプ、と事業を広げ、自動車部品のマニホールドやサニタリーロータリーポンプなど、高精度を要求される製品で評価を得る。
 大阪府摂津市の製造スタッフ45人からなる鳥飼工場では50年来の技術と伝統を受け継ぎ、自動車用鋳造金型、試作品の設計製作を続ける。
 国内はもちろん、アジアに進出した自動車や二輪メーカーから、型だけでなく、鋳造から加工、成形品の組立てまで、一連を引き受ける。鳥飼工場では金型の設計・製造、枚方工場で試験・傾斜鋳造、春日工場でエンジン部品の製造・組立てに分業されているがのがその特徴で、故にそれぞれの品質を保っている。
 トータルで製品を提供できる強みがある反面、金型単独では利益が出しにくいという実情もある。添田俊男工場長によると、「金型事業での利益率は通常一桁前半。ものによってはマイナスになる」こともあるという。
 そこで必要なのが
「スピードアップで納期短縮」、「製作検討の段階で、マシニングを有効に活用できる工程の立て方をする。そうすることで仕上げや放電加工の手間も減る。また、春日工場と連携し、3Dデータから直接試作型をつくることで、開発期間・コストを削減」して、「利益を出す体質づくり」に努めているという。
 時間のかかる放電加工機の使用はほとんどなくなり、新たな活用を模索する余裕も出てきた。
 工場内には今も木型・砂型・模型が並ぶ倉庫、NC工作機械、汎用フライス盤、CAD/CAMなど新旧のツールが共存する。
 ミツトヨのCrysta Apex C122010を導入してからは、「従来バラバラに乗せて測っていた部品が組み立てた状態で測れるようになった」と、3Dで金型や製品を計測して納品できる強みを強調。
 これらを扱う人員も、専門学校卒の若者から、65歳以上の嘱託スタッフまでと幅広い。熟練者に新人スタッフを教育させ、図面と型と両方を見ながら、仕事の中で技術伝承を図る。
 最近の悩みは「平均年齢が40歳と高いこと」だという。省人・省力化も進め、明るい・安心・安全の3A、働きやすい工場を目指す。
 バルブ事業部は昨年閉鎖された。コストカットや図面技術の流出など、業界には厳しい風が吹く中、どの方向に進出して行くのか。興味深い。
(写真:4気筒シリンダヘッドを得意とする)





第6回
東南精機(愛知県安城市)

 愛知県安城市の東南精機。1957年に名古屋市内で鍛造業社として設立されたが、周辺民家への騒音公害等を考慮し、1972年に機械加工業に転業。1992年に現在の安城市に安城工場を建設。2005年に本社機能を安城工場に移し業務の効率化を図った。来年で50周年を迎える。現在、金型関連の部品加工を中心に、ダイキャスト・樹脂・プレス・鍛造の分野で汎用加工から形状加工まで、切削に関する全てを業務とする。
 同社自体は金型メーカーではなく、「金型メーカーさんのお手伝いをさせて頂いている。図面があればどんな難しい物でも削れるという自負心を持って挑戦している」と渡辺秀一社長。さながら、金型メーカーの駆け込み寺、と言ったところか。大型機械と20t/10tの親子クレーン4基を備え、大型・重量物の部品加工を得意としている。
 大型金型の機械加工には高い技術力が必要であるという渡辺社長。その難しさは「まず、必要とする工具が無い事」という。同社では使用する工具の大多数を自社製作している。工具を作る中で得る経験、例えばワークの素材別に微妙に変化させる工具形状や、用法による工具の選択方法等、かつては職人のカンと言われていた部分を、いかにデータ化して蓄積しマニュアル化していくか。こういった工具作りのノウハウは、機械加工のノウハウに直結しており、同社の技術を支えているのは、長年工具を自社製作することで培われてきた『汎用機械加工』の技術の確かさである。
 渡辺社長は3代目。2代目とは方針をめぐって対立し、一度は会社を離れるも、先代が倒産寸前まで会社を傾け、社員に懇願され4年前に3代目に就任。常識の枠にとらわれないアイデアと同社持ち前の技術力を生かす積極経営で立て直した。
 1例は変則的な勤務体制の導入。同社は24時間の有人営業を敷き、正月3日間以外は無休。2交代制で、4勤2休の3班体制という特別な交替勤務シフトがこのシステムを可能とする。当初、基準局に申請した際には、労働法の週40時間労働の枠に入っているが、前例が無いことを盾に色好い返事がもらえなかった。3年間の試験期間に従業員から苦情が出なければ正式に許可、という始まりだったというが、何の不満もなく3年を越え、今や同社自身がその前例である。「金型メーカーさん相手のお仕事で、納期を守ることは絶対的使命。この勤務制の導入以前、土日も仕事というのはザラだった。ならば、最初から、無理なく土日出勤できる勤務制度はないか、というのが考えの始まり。また、機械の減価償却も考慮に入れた。当社の機械は1月あたり
650時間稼動している。通常の約3倍分。機械が高価になっているが十分に償却できている」。
 直近2年間で5億円の設備投資を行ったという。「バブル崩壊以降、経営者が守りに入り、業界として先のビジョンが持てていない状態。当社では、ここ数年、機械を複数新たに導入し続けているが、これは数年前に将来
を見極めた上で発注していたから成立すること」。現在、社員数55名。年商12億円。
 「会社は、社員全てのもの。自分が居なくなっても会社がやっていけるように、しておきたい」。と言う渡辺社長。それは少し寂しくないですか、との問いに「全然。やりたいことはいくらでもある」。
 今後も積極経営は続く模様。聞けば、新しく飛行機部品加工向けの新会社名義の工場設立を目指し、すでに愛知県東浦町に1万3000坪の土地を確保しているのだとか。「飛行機は自動車と異なり、受注後の仕事が長期。長い目で見た効果的な設備投資を考えることが出来る」
 同社の現在の機械設備は、門型立中繰り機5台。5軸加工門型機が3台(1台は今年12月導入予定)。この全てがオークマ製。オークマの選定ポイントは
「重切削が出来て、仕上げの精度がよいから」とのこと。また、横中繰り機は3台で、全て倉敷機械製。渡辺社長の倉敷機械への評価は高い。「クラキさんは、技術の人間がユーザーの意見を聞いて回り、提案された意見をすぐに取り入れ、標準仕様にしてくれる。重切削を含めた横中繰りに関しては、当社業務に倉敷機械が一番合っている」。
 父親の元では一作業者として現場に居た渡辺社長。同社の新入社員教育では、形状の交点計算をサイン・コサインから徹底して叩き込み、3ヶ月後には2〜3割程度しか残らないと言う。その一方で、社員に気持ちよく仕事をしてもらう努力は怠らない。シャワー室・仮眠室は完備。特にロッカーの出来にこだわった。「名門ゴルフ場等でも汚いロッカーを目にしてがっかりすることがある。社員が日々向き合うロッカーは立派なものにしたかった」と社員を見る目には厳しさと、暖かさが同居する。





第5回
三友製作所(広島県府中市高木)
設計から成形まで可能な設備でトータルコストの低減を提案 
 広島県府中市は独立心旺盛な土地柄であるという。人口4万人ほどの町だが、鉄鋼関係・家具関係・縫製関係を中心に最盛期は2200もの製造関係の企業があったのだとか。現在、その数は少し減っているというが、1部上場企業2社を含めて2000社ほどが仕事をしていて、中国地方のものづくりのメッカの1つである。
 その府中市高木にある三友製作所。戦前から戦後にかけて同市にあるリョービ、北川鉄工所などでゲージ工として仕上げを担当していた原田喜久男氏が、1954年に独立し創業した。
 現在の社長は2代目の原田正博さん=写真=。社員数は役員・パートを含めて80名。金型製造業の中では大規模である。その設備も多種にわたる。立・横・NCフライスが計20台。立形・横形・門形マシニングセンタは計15台。NC放電加工機6台。NCワイヤー放電加工機2台。各種研削盤が10台。各種旋盤が8台。各種ボール盤5台。CAD/CAMシステムは20台。また、ダイスポッティングプレス機2台と射出成形機3台を備え、サンプルの成形もこなす。
 これらの設備のほとんどは牧野フライス製作所製のもの。「メーカーを統一しておくと、互換性がよく作業者の混乱を防げる。また、1社に決めておけば、メンテナンスの面で有利にも働く」(原田社長)。
 同社はこれらの設備規模を活かし、小物から大物までも扱える器用さを強みとし、家電から自動車関連まで幅広く対応してきたというが、最近は、請け負う製品が様変わりしてきたとの事。「かつては、冷蔵庫、エアコンといったいわゆる『白物』の家電や、プラモデルやインテリアといった雑貨関連はほとんど全てなくなった。今は、車関係が中心で全体の7割を占める。ハンドル、ミラー等が主体で、プラ型だけではなく、ダイキャストもある。その車関連も、部品メーカーからの発注でもあり、メーカーは固定しない。また、車関係以外では、型が大きくなるものが多い。塩ビのパイプの継ぎ手の型がその代表」。
 金型メーカーとして規模が大きく、多種の設備を保有しているのも同社の強み。「大型に対応できるというだけでなく、設計、データ作り、加工の後、試作まで出来る設備を持っているのだから、トータルコストでの提案を行っていく」。





第4回
野田金型(大阪府高石市)
鍛造型やプラ型で高評価 
 兵庫県津名町、静の里公園に、1億円相当の金塊が展示されている。手で触ることが可能ということで、一時話題になった。その金塊の金型を作った会社が大阪にあるという。高石市高砂の泉北工業団地にある野田金型(堀口展男社長)がそれ。取材に向かった。
 同社は、先代の堀口弘・現会長が昭和23年に大阪市港区市川で創業。元々は京都の呉服問屋だったが、戦時中に鍛造金型を経験し、その楽しさを知り、汽車の部品作りなどの仕事を始めた。5年後に、福島区野田で会社としての形態に整えたことが社名の由来。
 野田で会社として設立された頃に、ミシン部品用鍛造金型、自動車や船舶のクランクシャフト用金型、タービンブレード用金型等を作り始め、以降、熱間鍛造用金型の専門メーカーとして成長した。また、昭和40年代後半からの樹脂金型の成長にも目をむけ、自動車のバンパー・インパネ、繊維強化樹脂(FRP)の住宅用バスタブ等の樹脂金型加工も始めた。
 平成7年には、3次元CAD/CAMを導入。金型の設計からNC加工のデータ作成は自社で行っている。
 現在、これらの経験を元に、トヨタ自動車の貞宝工場(金型専門工場)からプラスティック型、ダイキャスト型を受注している。金型屋と成形屋はその距離が重視される中、大阪でトヨタと直接取引をしているところは少ない。「熱間鍛造でプラスティックをやっているメーカーが少ないこともあるが、当社が持つ大型の樹脂用金型の技術・設備を評価して頂いているのだと自負している。東芝機械のプレーナ型横中ぐりフライス盤『BP130‐R22』を設備しているが、テーブル部分が当社の特殊仕様。360度回転し、その割り出しは10000分の1度。加工域は3・5m×2・5m×1・5m。金型業界でこの機械を設備しているのは当社だけ。来年にはオークマの門形の5面加工用マシニングセンタ(2・5m×4m)も設備する。今後は金型製作だけではなく、部品加工も視野にいれて対応していきたい」(堀口社長)。
 今の目標は、飛行機向けの金型産業へ参入だと言う堀口社長。5月に渡米しボーイング社の副社長相手にプレゼンを行ったという。「アメリカは良いものを作れば、会社の規模を問わずに認める土壌を持っている。ボーイングも日本の金型業を支えているのは、中小、零細企業であることをよく理解していて、我々のような最前線にいる者と話をしたがっていた」。
 ボーイング社の新型機787の部品加工に関しては、日本の企業が多数参入すると見られている。「当社もその1社でありたい。重役の1人と意気投合し、年内にもう1度訪問することになっている」。
 兵庫県津名町の金塊の金型は、製作当時は極秘扱いだった。金塊独特の輝き具合は、ある温度での急激な冷却がポイントで、その温度調査のためにいくつもの金型を作り直した。「一般的に、使用された金型は表に出ないが、津名町では金塊の横に展示してくれた。社員たちと見に行き、記念撮影して写真も置いて欲しい、と頼み込んだ」。
 現在、HPをリニューアル中。8月には新HPに模様換えする。また、ISO9001、同14001を取るべく、日夜奮闘しているのだとか。トヨタの中で、ISOを取得していない部門があって、「良い機会だから一緒にとりませんか」と誘われたのが始まり。「5年後にはISO所持がスタンダードになっていると考え、最後の機会だと思って書類と向き合っている」。





第3回
森鉄工所(大阪市西淀川区)
短納期の金型作りで顧客と長いお付き合い
 大阪市西淀川区にある森鉄工所。現社長森弘臣さん(写真)の父で先代社長の繁臣氏が昭和31年に創業。10月には創業50年を迎える。
 プレス金型を製作し、三菱自動車の1次メーカー・建材メーカーなどがメインの取引先。「それぞれ20年?30年以上、お取引がある。一度付き合えば長い」。
 最近は、自動車中心の仕事が多いと言う。顧客との取引の中で気をつけていることは、「今は、納期を如何に短くするかが大事。価格・技術は、良くて当たり前の時代。自動車関連でもサイクルの短い仕事が増えてきて、短納期で期限を守るようにしている。そうすることで信用が生まれ、次の注文も受けられる。さらに、メンテナンスなど飛び込みの仕事にも対応できるように、少人数の強みを生かしてフレキシブルに対応している。当社では、納めた製品のメンテナンスはもちろん、他のメーカーさんが作られた金型も修理している。そういったアフターサービスも大事にしている」。
 現在、新日本工機のマシニングセンタを2台使用しているが、うち1台を年内に大隈豊和製に替える。「新日本工機の制御装置はFANUC。使い慣れているが少し汎用的。その点、大隈豊和の制御盤は金型を使用する立場に立って開発されたらしく、現場のオペレータとも相談して決めた。新日本工機はコラムトラバースで作業性が良かったが、現在、門型に特化している。2m程のワークを削れる8番の大きさは機械メーカーも限られている」。
 金型工業会には積極的に参加している。「情報の時代。横のつながりも大切にしておきたい」。





第2回
光金型製作所(兵庫県伊丹市)
最初は苦情を言われても、最後に感謝される仕事
 兵庫県伊丹市森本にある光金型製作所。「うちには特殊な技術や技能という点で誇れるようなことは少ない。超精密加工に特化しているわけでもない、いわゆる『町の普通の金型屋』が生き残っていくには、いかに品質の良いものを短い納期で、適正なコストで提供することを考えていくことが大事。これは、どの会社でも同じことで、それに付加するものとして、うちでは『誠実なサービス』を提供することを心がけている」
 金型を製作する上で重要視していることは「商品、成型品の用途をよく知ること」という光久広海社長。
 「成形しにくい形の商品は、剛性面や量産する上で問題が多い。金型は一度作り上げた後に問題が発生した場合、その修正が難しい。したがって、金型の品質は、設計をする段階でほぼ決まる。それはすなわち、商品の品質と考えてもらいたい」とも。
 同社では、成形品の用途をよく吟味し、その価値を保持しつつ成形品の形の変更を求めていくことも多いという。客先からよく「他の金型屋さんは質問も注文も少なくて、すぐ仕事に取り掛かってくれるのに、おたくは注文が多いなあ」と、言われることがあるとのこと。
 「しかし、苦情を言っていたお客さんも、こちらが製造した金型のテスト(試し打ち)の回数の少なさに驚き、喜ばれる。成形品を作る前に問題点を見つけ出し解決しているから当然といえば当然のこと。客先にとっては、生産体制をより早く確立できるようになり、こちらにとっても仕事の時間が減るわけで、双方のコストダウンにつながっている。スタートは遅くともゴールは早くする。次に仕事を頂ける素にもなる」
 成形しやすい商品の形を追求した効果として一つの例がある。「数十年前、洗濯機の部品の金型を作ったことがある。当時、金型の耐久性といえば30万台分程度。ところが国内で約50万台、さらにその後中国で30万台成形できた。合計80万台。もちろん、オーバーホールをしているが、この数字は自信を持って紹介できる」
 現在は自動車関連の仕事が中心。しかし、かつては弱電メーカーからの仕事が全体の8割を占めていた時期があった。メーカーが中国等海外に進出して行った時期に子会社になる誘いを受けたがきっぱりと拒否。それを機に仕事がもらえなくなった。それまで経験したことの無かった営業をして得たのが自動車の仕事。当初、倣い加工機で加工していたそうだが、結果としてこの時の経験が今の自動車中心の仕事に対応していける契機となった。
 「自動車の仕事は実際に成形品を作るまでの期間が長い。また、間に商社が何社も入っていたりして情報の行き来が遅く、企画の段階から設計・金型作製・成型品の量産に至るまで一年近く掛かることもある。その拘束期間の長さにやっていけなくなる金型メーカーが多い。うちは、25年ほど前から少量ながらやっていたので、その辺りの事情が判っていて、スケジュールも比較的組みやすかった」と光久一広専務。
 「現在、金型作りは金型『造り』の時代になっている」という光久社長。手に職を持っている熟練の人でも、情報関係の仕事に関しては若い人間に教わることも多い。「若い人を如何に継続させるかが課題。うちの会社はこういうやり方だから、という方法では若い子はついてこない。熟練者達に『甘いなあ』といわれても、ある程度の望みを持って楽しめる職場作りをする必要がある。私自身が現場に出て、それぞれの長所を伸ばすように育てている」
 使用する設備は、牧野フライス製作所のものが多い。「ワークの大きさや剛性面、耐久性を考えると牧野さんになる」





第1回
松野金型製作所(大阪府東大阪市)
感性だけではなく理論をもつ「プロ」の集団へ
 今号より、金型のメーカーを取り上げていく。1回目の取材先は、大阪府東大阪にある松野金型製作所。
 10年ほど前にメインの取引先が破綻、年商4億円の頃に5千万円の負債を被ったが、今や7億円近い年商を持つ松野金型製作所。負債をこうむった当時、30名程の社員を抱えていた。当時、営業担当であった松野行秀社長は「大手よりも安い価格で、小規模な所よりも数量の多い注文を受けられる。それをうちの売りに出来るのではないか」と自問自答した。
◆ ◆ ◆
 とにかく営業に出た。全国の成型屋200社以上を回って携帯電話の仕事を獲得。しかし、その当時、携帯電話の先行きは見えていなかったのと型屋のセオリー「足回りの早い製品は引っ張り倒される」を盾に社員たちからの反対にあった。
 ここで松野社長は社員に意識改革を求めた。「本当に無理ならば、どこが無理であるかを説明できるはず。会社として誇れるものが無いのだから、タイトな仕事にも挑戦していくべきだ。プロ意識を持とう」。
 松野社長は言う。
「『職人のカン』的な感覚は、技術の面では大事なものであろうが、基本的な部分を説明することぐらいは出来るはず。例えば、機械の精度などで、一度工具を取り替えると何ミクロンかのブレが生じるだとかというのは、調べれば情報として知ることが出来るはず。この業界はそういった部分までをカンで話している人が多く、各社員の意識改革を進めるのは大変だった」。
 言い換えれば実力主義である「プロ」へのこだわりは同社に若い力をもたらしている。2年前に社長に就任した時に、若い人材をリーダーに抜擢。それまでの7年間、松野社長自身が「毎月10人以上の人間を面接し続け」その選考に受かり、薫陶を受けた30?40代の者たちが今の松野金型製作所の中心メンバー。
 昨年末頃になって、社員たちに意識改革が浸透し始めたのを感じているという松野社長。ようやく会社の外に目を向けられる土壌が整った。「『スケールメリット』の拡大が今後の課題。名前を知ってもらうためにできる限りのことをしようと思う。成型機を自前で持つなど、メーカーと直に話が出来る力を持たなくてはならない」。
 その一手として、昨年9月にブログを開設。月に2回程更新し、自らの思いを書いている。
 松野社長の取り組みは、メーカーにも高く評価されている。ブログを見た牧野フライス製作所の本部長に依頼をうけ、6月に東京で開かれる技術フェスティバルにて、特別講演を行う。「身に余る大役かな、とも思っているが、出ることで名前が売れれば良いし、松野のスケールメリット拡大には大きな意味を持つと思っている」。
 牧野フライス製作所との付き合いは深いものだ。松野金型製作所が提案する「Kanagata720」コンセプトは、牧野と共同で開発したもの。段取り作業を加工機械から切り離し、CAD/CAM↓NCプログラム↓測定↓切削加工↓測定↓放電加工をオンライン上で一貫化したシステム。
 松野金型製作所の機械ラインナップには牧野製の工作機械がずらりと並ぶ。「牧野さんのショールームよりも多くあるかも知れない」と笑う松野社長の顔は自信に満ち溢れていた。